昨年12月23日にS状結腸がんのため死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。式典には発起人代表の青木功ら約1000人が参列。青木、尾崎、そして中嶋常幸はそれぞれの頭文字をとって“AON”と呼ばれ、1970年から90年代の日本ゴルフ界を引っ張った。
3人合わせて国内193勝(尾崎さんが94勝、青木51勝、中嶋48勝)。賞金王は合わせて21回(尾崎さん12回、青木5回、中嶋4回)。そんな一時代を築いたレジェンドたちだ。青木は1964年にプロ入り。4歳年下の尾崎さんはプロ野球の投手という経歴を経て70年にプロゴルファーになった。「切磋琢磨」という言葉がぴったりのように、数えきれないほど優勝を争い、多くのドラマを生んだ。「なんの言葉もない、なんもしゃべりたくない。自分の気持ちはジャンボとふたりでしまっておきたい。それくらい大事な人。自分のゴルフが変わるきっかけになったという意味では、ありがとうとしか言いようがない」としのんだ。40代になって海外ツアーに参戦した青木に対し、尾崎さんは日本ツアーをメーンに戦いを続けた。「離れ離れになったけれど、常に彼のことを気にしていたし、ジャンボに聞かないと分からないけれど、私のことも気にしていたと思う」と、ゴルフ人生においてかけがえのない戦友だった。青木は日本ゴルフツアー機構(JGTO)の会長を務め、尾崎さんは晩年、後進の育成に尽力した。ゴルフ界への功績は計り知れない。「俺にとっても大きいし、ゴルフ界にとっても大きいよ。いちいち説明する言葉がないくらい大きい。ちょっと早かったと思うし、いたら肩を組んで、酒を一杯飲みながら話をしたかった。もう一回戻ってこい、って言いたいわな」と語った。尾崎さんの8歳年下で75年にプロ入りした中嶋も、しのぎを削った試合は数知れず。「いろんなシーンがあるんだけど、勝った試合もあれば負けた試合もたくさんあって。ジャンボのすごさっていうのは、どこに行っても、何があっても決めてくるというか、特別な存在でしたよね」と話す。特に思い出深いと話すのが、88年と90年の「日本オープン」。東京ゴルフ倶楽部を舞台に行われた88年大会はAON三つ巴の争いを尾崎さんが制し、小樽カントリー倶楽部を舞台に行われた90年大会は大会3連覇を目指す尾崎さんを最終日に中嶋が逆転で優勝した一戦だ。「(88年大会は)ジャンボが17番で長いバーディパットを決めて1打差で追いつけなかった。あの試合の迫力というか凄さというか。今度はジャンボの3連覇がかかった小樽での90年大会の自分の逆転優勝。ジャンボはよっぽど悔しかったと思うけど、終わった直後に握手しながら『おめでとう、よくやった』って。悔しい中でも相手を称える、あの言葉っていうのも忘れないですね」。ゴルフファンを虜にした試合は数々あるが、ライバル関係でも相手を称える姿勢を持っていたという。アマチュア時代から「憧れていました。ああいうゴルフをしたい」と話し、19歳の頃、かけられた言葉は今でも覚えている。「『体を鍛えるんだぞ』っていうのが19歳の頃にかけられた言葉なんですけ。それからやっぱり体を作ってこそのスポーツ選手という言葉が一番大きかった」と中嶋の礎にもなったという。「あの人がいたからこそ、『これではダメだ』とか『もっとここを強くしなきゃいけない』とか体を作ったり、技術を磨いたり。常に勝とうと思って努力をする。まあ大きな『壁』として立ちはだかってくれたし。その壁も止まっているんじゃなくて前に進んでいる壁だったから。本当に壁にぶつかっていく、追い越していくというのがやっぱり楽しみでもありましたよね。パワーゴルフの幕開けは彼がいたからこそできた。日本ゴルフ界の革命を起こしてくれた人ですよね。その姿を見て、今も多くの選手たちが、意思を引きづいてやっていると思います」。AONと呼ばれ、通算48勝と勝ち星を積み重ねられたのは、尾崎さんの存在が大きかったとも明かした。
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