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「30歳までゴルフをやると決めているから…」 泣きながら過ごした“苦難の2年間”を支えた臼井麗香の信念

<アクサレディス宮崎 最終日◇24日◇UMKカントリークラブ(宮崎県)◇6545ヤード・パー72>午前10時50分に最終ラウンド中止のアナウンスが流れると、クラブハウス内に拍手が響き渡る。その祝福の中心にいたのは、ツアー初優勝が決まった臼井麗香。涙を流しながら、選手、関係者らの『おめでとう』の声にこたえる。

ウキウキのレイチェル【写真】

「すごくうれしいのが一番。まだ夢みたいです。(涙は)すぐに出ましたね」。2018年のプロテスト合格から7年。さまざまな思いがこみ上げてくる。プロ生活は、順風満帆な滑り出しといえた。19年からレギュラーツアー27試合に出場し、3度トップ10入り。そのうちの一試合が、最終日最終組を回った「アクサレディス」の6位だった。さらに新型コロナウイルスの影響で2年間が統合された20-21年シーズンは、メジャー大会の「ワールドレディスサロンパスカップ」など2試合で2位になり、このシーズンには初シードを獲得している。歯車が狂ったのが、22年シーズン前のオフだ。前述した2度の2位が“重荷”になったと今振り返る。「2位止まりなのが悔しかった。1位と2位のカベは高い。そこには10打くらいの差があると思った」。その“差”を埋めるために着手したのがスイング改造だったが、これで自分のゴルフを見失った。初シード選手として臨んだ22年は「一番苦しかった時期」と振り返る。思い通りの球が打てず、曲がらないようにと思えば思うほど、ボールが左右に散らばる日々。20-21年シーズンに233.74ヤードだった飛距離も、20ヤードほど落ちた。「練習ラウンド初日の時点で『やめたい』って、毎週毎週泣きながらやっていました。それくらいキツかった」。結局、34試合に出場したこの年はメルセデス・ランキング115位に終わりシードを喪失。昨年も同134位と浮上できないまま、2年間を過ごした。そんな失敗も踏まえ、大振りだったスイングは小さく強くという意識にシフト。「強烈だった」というダウンブローもレベルスイングにした。さらに今季を迎える前には、技術だけではなくトレーニングも重視し、弱かった上半身を徹底的に鍛えぬきバランスを整えた。「もともと逆玉は出ないタイプなのに、右に出るミスが多くて。その恐怖をなくすのが難しかった」。こういった困難と課題を乗り越えつかんだ、初優勝だった。苦しい時でもゴルフを諦めなかった理由について聞かれると、「30歳までゴルフをやると決めている。そこまでは100%の努力をしたい」と答える。「なんか諦めることができなかったんです」。不調のまっただなかでも、打撃練習場に5時間いて打ち込み、そこから練習ラウンドに向かうというコース生活を過ごしてきた。はじめて受験したプロテストに失敗した17年には、今後のゴルフ人生で成し遂げるべきものを書き出した『目標シート』を作成したが、それも大きな支えになった。そこには21年でツアー初優勝、同じ年に米国ツアーの予選会を受けるなどの青写真を書き出していった。「21年の8月までに賞金4000万円を稼いだらアメリカのQTを受けるって決めたけど、3200万円くらいと届かなくて受けられなかった。そこから全部狂いましたね」。米国行きは「22年から3年間くらいで、日本に戻ってくる設計だった」ため、断念することになりそうだと明かすが、例えば27歳で戴冠すると決めた女王は、ここから目指していく目標のひとつ。現役生活のリミットと決めている30歳まではあと5年。そこまではしっかりと努力を続けていく。イメージしていたのは、18番グリーンで大きな歓声と拍手に包まれる初優勝劇だった。「私の中では。宝塚のイメージが強くて、舞台に登壇するようにグリーンに上っていくことを想像していた。2勝目はそうなりたいですね」。想像していたものとは違えど、“初優勝”の価値は変わらない。自分で「スポーツマンらしくない」という見た目も「形から入って、ゴルフに携わる女性が増えたらなという思いもありますし、黄金世代で小さい頃からすごい選手がいて、自分の個性を出すことにつながる」とこだわっている部分。「(短縮競技で)2日間だから、まぐれだろうと思われないように。次の試合から2勝目を1勝目だと思ってやっていきたいです」。世代14人目の優勝者からは、逆境を信念で乗り越える芯の強さを感じた。(文・間宮輝憲)

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