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“天才”がぶつかったスイングの壁 金田久美子がコースで見せてきた努力の物語【辻にぃ見聞】

先週の「樋口久子 三菱電機レディス」は、2011年「フジサンケイレディス」以来となる11年ぶりの優勝を果たした金田久美子の涙で締めくくられた。21歳で初勝利を挙げた後は、シード喪失や、極度の不振など苦しい時期も長く過ごしながら、“天才”と呼ばれた少女が33歳を迎えたシーズンに復活。ツアー史上最長ブランクVになる勝利にたどり着いた。その勝因や道のりを、上田桃子、吉田優利らのコーチを務める辻村明志氏が語る。

■貪欲で真面目なコースでの姿

「いい優勝でした。こういう優勝がたまには見たいなって思える、そんな優勝でした」。辻村氏は感動のラストシーンを思い返し、しみじみと語る。「金田さんはゴルフ人生に物語がある選手。それを知っているから勇気をもらえる」。こう話す辻村氏の頭に真っ先に浮かぶのは、いつもひたむきに練習に取り組む金田の姿だ。

今回の勝利を「人間味が感じられる優勝」と辻村氏は表現する。3歳からゴルフを始め、8歳で「世界ジュニア選手権」制覇。トーナメントでも、プロ転向までに15回のベストアマを獲得するなど“天才少女”の名をほしいままにした。21歳でプロ初優勝を挙げたが、ここ数年は低迷からの浮上を目指すシーズンが続くことに。「練習に諦めがなく、とにかく、ひたむき。ゴルフ場に入るとストイックで、悩みながら、納得するまで打ち込む」という姿を辻村氏も証言する。

この11年間について金田は優勝会見で、「信じられない時もありましたけど、これ(優勝)を夢見て、目標に頑張ってました」と言葉をつまらせながら話した。プライベートの写真を掲載すると、SNSに『そんなことしてるから勝てないんだ』など心無い声も届いたという。「みんなが思ってるほどメンタルも強くない。でも絶対に勝って見返してやるとずっと思ってました」。こんな心境も明かしていた。

「コースのなかでは、見た目とは違う金田さんがいます。ゴルフに対して貪欲で真面目。それは同じフィールドで戦っている人はみんな知っている。他の人以上に必死にゴルフに向き合うんです」(辻村氏)。これが“人間味”。だからこそ、心からの拍手はやまない。

■ジュニアスイングからの脱皮

ここ数年“天才少女”から“大人”へと脱皮しようと、もがく姿も見てきた。辻村氏いわく、プロ入りから長らく金田のスイングは「ジュニアスイング」だったという。「力がない子どもの時に覚えるスイングは、どうしてもクラブに振り負けるというか、体幹がないからダウンスイングで右サイドが大きく落ち“ギッタンバッコン”してしまいます。そういう要素を持ちながらのプロ転向でした」。しかし、これではいずれ限界が来る。

自他ともに認める感覚派。プロ転向から数年は「そこまでに培ったスイングで結果を出そうとしてるように見えた」とも辻村氏はいう。それが変わったと感じられるようになったのは、5年ほど前のこと。「ジュニア時代の“感覚だけ”で“レベルスイングも取り入れてない”」フォームを『変えたい』という意識が感じ取れるようになった。

金田は優勝会見で、一番つらかった時期を聞かれ「6年ほど前」と回答。「ドライバーでキャリー140ヤードのチーピンしか打てない。フェアウェイにあって、大きいグリーンでもセカンドショットが乗らない。50センチのパットも入らない時期。こんな恥ずかしいゴルフなら、やっててもしょうがないんじゃないかなってずっと思ってました」。この頃は、ゴルフ場に行くだけでじんましんができるほど苦しんでいたとも。17年にシード喪失。ちょうど、辻村氏のいう変化の時期と符号する。

「プロになると『このスイングでは長持ちしない』と考えないといけない。金田さんは、その壁の連続だったはずです」。辻村氏は、ここまでの道のりをこう想像した。しかし、その5年ほど前から「感覚だけのスイング」から脱しようとする姿が見られるようになる。プロが長年慣れ親しんだスイングを、一から変えようとすることについて、辻村氏は「一回死んだような気持ちにならないと始められない」と表現する。もう元に戻れないリスクを背負いながらの取り組みになるからだ。

■武蔵丘で見せた“天才”の一面

では、2勝目をつかんだ今のスイングはどうなっているのか。辻村氏に説明してもらった。「ダウンスイングで右サイドが落ちることなく、水平なスイングになっています。インパクトから振り抜きにかけて、体の回転と同じ方向に腕も振れていますね。ポールポジションも身体の中心で構えてバランスのいいアドレスになり、しっかりとターゲット方向に押し込めている。フェースローテーションも少なく、『ジュニアスイング』から『近代スイング』に変わりましたね」。そして「今も模索している最中かもしれないけど、根性がすごい」という褒め方をする。

とはいえ、やはり“天才的”な部分も垣間見ることができたという。それが「元々すごい」というパッティングのタッチ。武蔵丘の大きな特徴に、傾斜の強いグリーンがあり、それは選手を一番苦しめる部分でもある。どこにカップが切られても強い傾斜。上からは本当に速く、サイドからはタッチとふくらませる感覚が合わなければすぐに3パットと、繊細なタッチが終始求められる。ただそこで見せた金田の「スピード感覚」は目を見張るものだったという。ちなみに3日間のパット数『28.0』は全体4位という好成績だ。

「自分がやってきたことができれば勝てるわけではなく、かみ合いがある。歯のかみ合わせと一緒。このタイミングが来るまで待つ根性がありましたね」。天才が見せてきたのは、諦めない姿だった。ここを辻村氏も一番に称賛する。

金田はプロになりたての頃のことを、「正直すぐに勝てると思ってましたし、賞金女王にもなりたいと思ってました」と振り返った。しかしすぐさま「そんなに甘くないし、自分の実力のなさも知った」と付け加える。そして、そのイメージと現実の誤差を埋めるように、ゴルフに向き合ってきた。

「状態が悪くなった時、諦めて帰ることができない。納得しないうちはやめることができない真面目な子ですから」(辻村氏)。“努力の天才”がようやく味わうことができた11年ぶりの歓喜。ここから、どんな物語を紡いでいくのだろうか。

解説・辻村明志(つじむら・はるゆき)/1975年9月27日生まれ、福岡県出身。ツアープレーヤーとしてチャレンジツアー最高位2位などの成績を残し、2001年のアジアツアーQTでは3位に入り、翌年のアジアツアーにフル参戦した。転身後はツアー帯同コーチとして上田桃子、松森彩夏、吉田優利らを指導。様々な女子プロのスイングの特徴を分析し、コーチングに活かしている。プロゴルファーの辻村明須香は実妹。ツアー会場の愛称は“おにぃ”。

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