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10年前に解説者がマキロイへ贈った言葉 「一流の世界へようこそ」

コロナウイルスの世界的拡大により、PGAツアーも中止や延期を余儀なくされている。世界最高峰のプレーを見ることができず、フラストレーションがたまっている人も多いだろう。そこで、PGAツアーの記者が、トッププロのコラムを毎月寄せてくれることになった。今はイマジネーションを膨らませて、来る再開を待とうではないか。短期連載の第1回は、順当に試合が行われていれば5月に話題となっていただろうロリー・マキロイ(北アイルランド)だ。

2010年5月2日、日曜日。フィル・ミケルソンはロリー・マキロイについて何も語らなかった。

クエイル・ホロークラブで行われた「クエイル・ホロー選手権」最終日。2位タイで逆転優勝を目指しながらとらえられず、マキロイの独走を許してしまったミケルソンだが、決してコメントを拒否したわけではない。後に彼は、次のように語っている。

「彼にとって21歳の誕生日の前にPGAツアーで優勝することは、ボクが思うに彼のキャリアの出発点だったね」

後にメジャーを制覇し、世界ナンバーワンにも輝いたマキロイだが、当時はカリーヘアーのずんぐりむっくりした普通の少年だった。しかし、彼の神童ぶりとコース上での偉大な功績はすぐに世間へ広まり、ファンたちは彼がどのように最高のゴルフをするのか目の当たりにしたいと切望。2007年9月のプロ転向後はさらに期待が高まり、それにマキロイも応えた。

2009年2月、ドバイ(アラブ首長国連邦)のエミレーツゴルフクラブで開催されたヨーロピアンツアー・ドバイデザートクラシックで、ジャスティン・ローズを1打差で破りプロとしての才能を証明。そして、クエイル・ホロー選手権が訪れた。

決して盤石ではなかった。腰の痛みに悩まされ、マスターズを含む大会前の2試合で予選落ち。クエイル・ホローでの最初の2ラウンドも変化は見られず、初日は「72」。2日目もトラブルに見舞われ、インスタートの前半9ホールで3つのボギーをたたき、折り返しての5、6番もボギー。残り3ホール時点で、カットラインに2打足りなかった。

そして、PGAツアーでのキャリアが永遠に変わった瞬間がやってきた。7番パー5。マキロイは残り206ヤードを4番アイアンで打ち、6フィートにつけてイーグルを奪った。残り2ホールはパーで乗りきり、辛うじて予選を通過した。

「その後はみなさんご存じのとおり」

とマキロイは笑いながら振り返ったが、九死に一生を得た残り2日間にスポットライトを当ててみよう。週末だけで16アンダー、土、日曜の両日とも最小スコア。第3ラウンドは8ホールで6つのバーディを奪い「66」。最終日もボギーなしのコースレコード「62」で回った。ビリー・メイフェアに4打差つけられてスタートし、最終的には10打差をつけて初優勝を飾ったのだ。

 2日目の7番とともにキャリアのハイライトを挙げるとするならば、最終日最終18番パー4だろう。43フィート離れた場所から、マキロイはバーディパットを沈めた。グリーン周りにいたギャラリーはスターの出現に熱狂し、マキロイは拳を空高く上げてファンの歓声に応えた。

「思い描くショットができ、パットも自分のライン読みどおりに打てて入ってくれました。これ以上のラウンドは人生でなかったと思います。ゾーンに入っていました」

21歳の誕生日を迎える前にツアーで優勝したのは、あのタイガー・ウッズ以来。

「成功はさらに良いプレーをしようというモチベーションにつながります。とても良い選手になりました。でも、進歩するにはまだ何年もかかります。上達し続けたいですし、願わくばタイガー・ウッズと張り合えるようになりたいです」

目を輝かせながら語った21歳は、ウッズを引き合いに出しても恥ずかしくないような活躍を遂げてきた。その原点をたどると彼の地元である北アイルランド・ホーリーウッドから6000キロ近く離れたカロライナにたどりつく。

ミケルソンを相手に4打差をつけてツアー初優勝を勝ち取ったノースカロライナ州、シャーロットでのあの日から10年。当時、優勝の実況をしていたアメリカのテレビ局「CBSスポーツ」のジム・ナンツは、ファイナルパットを沈めた瞬間に最高の言葉で締めくくった。彼のすべてが始まった場所で、ナンツはその1週間の彼のプレーと、これからやってくるであろうマキロイが世界を席巻(せっけん)する次時代を予見してこうまとめたのだ。

「ロリー・マキロイ、一流選手の世界へようこそ」

文・Chris Cox/PGA TOUR

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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