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アダム・スコット、復活優勝の背景【舩越園子コラム】

「いいプレーをしたい」「勝ちたい」という気持ちが膨らめば膨らむほど、そして周囲からの「勝ってほしい」という期待を感じれば感じるほど、それらをうまくコントロールしなければ、実際はいいプレーもできないし、勝つこともできない。それがゴルフの一番の難しさであることを、今年の「ジェネシス招待」は如実に物語っていた。

1992年、16歳で米ツアーに初挑戦した思い出の地、リビエラで大会ホストのタイガー・ウッズ(米国)が通算83勝目を挙げて歴史を塗り替えることを、開幕前、世界中のファンが期待していた。だが、ウッズはショットもパットも振るわずじまいで、予選を突破した中では最下位の68位に終わった。

世界ナンバー1に返り咲いたばかりのローリー・マキロイ(北アイルランド)は、最終日を首位タイで迎えながら、精彩を欠くゴルフで5位タイに甘んじた。

はやる気持ちを、いかにして穏やかに保つか。心を穏やかに保ちつつ、いかにして勝利への意欲を燃やすか、いかにして勝利を手に入れるか。それはトッププレーヤーたちにとっても永遠の難題だ。

昨年のこの大会で、アダム・スコット(オーストラリア)はまさにその難題に直面していた。そう、彼にはどうしてもここで勝ちたいと切望するワケがあった。

この大会が「ニッサン・オープン」と呼ばれていた時代の2005年大会は、悪天候のため2日間36ホールで打ち切りとなり、スコットが首位に並んだチャド・キャンベル(米国)をプレーオフで下して優勝。しかし、わずか36ホールゆえ、勝利数にはカウントされるものの“非公式”という、きわめて稀な結末になり、「幻の優勝」と陰口さえ叩かれた。

リビエラできっちり4日間を戦って勝ちたい――2019年大会最終日を2位タイで迎えたスコットは、だからこそ勝利への意欲を強く燃やしていたのだが、あのときは溢れ出す意欲をコントロールできず、7位タイに終わった。

あれから1年。「ジェネシス・オープン」からジェネシス招待へと大会名が変わり、優勝者に与えられるシード権が2年から3年に変わり、いわゆるエリート大会へ格上げされた今年、スコットは再び最終日を首位タイで迎えるポール・ポジションについたが、もはや彼がメンタル面から崩れることはなかった。

安定したプレー、堂々たる戦いぶりを最後まで保ち、2位に2打差で通算14勝目を挙げたスコット。支えになったものは、自信と努力、そして人々の声援だった。

スコットは常にクールだと思われているが、彼とて幾度も感情に翻弄されてきた。2005年の「幻の優勝」後、彼は勝つことを焦りすぎたのか、しばらく惜敗を繰り返していた。

2009年には趣味のサーフィンで負傷。ひどいスランプに陥り、世界ランキングは3位から急降下した。

「あの年、僕は生まれて初めて試合中に怒りでクラブをへし折った」

引退が頭をよぎったこともあった。だが、コーチを変えてひたすら復調を目指し、翌年、2年ぶりに復活優勝を果たした。

2011年にレギュラーパターを長尺パターに持ち替えてパットの調子が上がり、世界選手権シリーズの「ブリヂストン招待」で優勝。何度も涙を飲んだ「マスターズ」を2013年についに制覇し、オーストラリア人として初めてグリーンジャケットを羽織った。

2014年には世界ナンバー1に昇り詰め、2016年には「WGC-キャデラック選手権」で通算13勝目を達成。それほど実績を上げていたにもかかわらず、スコットは再び勝利から遠ざかり、昨年のリビエラでは溢れ出す感情に翻弄されて崩れてしまった。

「それでも僕は、目標を高く掲げ、コツコツ頑張ってきた。昨年12月にオーストラリアンPGA選手権で久しぶりに勝てたことが大きな自信になった。今週は初日から、このリビエラがとても好きだと自然に感じられ、心が穏やかでいられたことが何より良かった。大観衆はどうしてだか僕に味方してくれていたように思う。それがとてもありがたかった」

アンカリングせずに長尺パターでパットするスコットの新スタイルは、彼の努力の結晶であり、自信の源になっている。

72ホール目のファイナルパットを見事に沈め、制御していた感情をようやく解放するかのように右手を高く掲げて、大観衆に「応援ありがとう」の気持ちを伝えたスコット。

ゴルフの難しさと素晴らしさを教えてくれる勝利だった。

文・舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

<ゴルフ情報ALBA.Net>