2024年でツアーから撤退した上田桃子や25年プロテストに合格した藤本愛菜、千田萌花が在籍している「チーム辻村」を率いるプロコーチの辻村明志氏。今回は昨年逝去した尾崎将司氏についてじっくり聞いた。
【連続写真】プレーンに振り下ろしてストレートフェードを打っていた ジャンボのアイアンショット
◇ ◇ ◇【部屋で4番アイアンを常に握っていた】昨年12月23日にご逝去されたジャンボ尾崎さんについて書かせていただきたいと思います。レジェンドであるジャンボさんを語るなど恐れ多いことは百も承知です。実際、お会いして話をしたこともありません。ただ、私は不思議なご縁によって、間接的ではありますが、ジャンボさんのゴルフに対する姿勢や考え、その教えを意識してきました。誤解を恐れずに言えば、私はジャンボさんの遺伝子を受け継ぐ一人であり、その責任感から今回の原稿を書かせていただきます。2025年12月11日だったでしょうか。ジャンボさんの伝説的キャディである佐野木計至さんから、こんな依頼がありました。「千葉に行く用事ができた。悪いが車を出してくれないか」。空港まで迎えに行った佐野木さんが告げた行き先は、千葉のジャンボ邸でした。それは同年1月に続き2回目のことでした。前回同様、私は家の外の車中で待っていました。ジャンボ邸を出た佐野木さんは多くを語りませんでした。ただ、ジャンボさんの闘病はすでに報じられており、病状がかなり悪化していることだけは理解できました。ジャンボさんが逝去されたのは、その12日後のことでした。私とジャンボさんとの不思議な縁は、佐野木さん抜きには語れません。そもそも佐野木さんとの出会いも不思議なもので、試合で訪れた愛媛で、たまたま入ったサウナで隣り合わせたのがきっかけでした。その後、佐野木さんからは折に触れてさまざまな助言をいただきました。中でも強烈に覚えているのは、試合中のジャンボさんのホテルでの様子です。常に4番アイアンを1本、ベッド脇に置き、就寝中もトイレに立つたびに握っていたそうです。あれほど繊細なアプローチを支えていたのは、誰よりも握りの感覚を大切にしていたからでしょう。繊細といえば、優勝争いで眠れない夜には必ず佐野木さんを部屋に呼んだそうです。その際、佐野木さんは「ジャンボが一番強い。ジャンボなら勝てる」と繰り返し、スタート表に記された優勝争いのライバルたちの名前を二人で黒く塗りつぶしたといいます。また、緊張する場面では般若心経を唱えたそうです。神仏を尊びながらも神仏には頼らない。世界最多となる通算113勝という偉業は、こうした積み重ねによって築かれたのだと思います。【負けず嫌いの鬼はゴルフ界のエジソン】私がゴルフを始めた1985年、無敵を誇ったジャンボさんもスランプに陥り、そこから脱しようとしている時期でした。佐野木さんによれば、この頃ジャンボさんは比叡山を訪れ、千日回峰行を二度満行した酒井雄哉大阿闍梨から「後ろに不動明王がいる」と告げられたそうです。その後、ジャンボさんは不動明王のご真言を唱え、常に対話しながらゴルフ、いや人生そのものと向き合っていたといいます。現在はフェードが世界的な潮流となっていますが、ジャンボさんも基本的にはフェードヒッターでした。恵まれた肉体ゆえに飛距離が出過ぎるため、球を止めるフェードが必要だったのかもしれません。しかしジャンボさんは、「ドローの打てないフェードヒッターは通用しない」を持論としていました。スランプの原因は、いわゆる“ぶっつけフェード”だったそうです。試合中にフェードを打ち続けることでカット軌道が強くなり、コスリ球が出てしまうのです。ジャンボさんが求めたのは、“つかまったストレートフェード”でした。そのために徹底して行ったのが、次のような練習です。地面に置いたボールの周辺に、目標方向へ向いた仮想の自動車をイメージします。大きさは大学ノートよりやや小さめ。四輪の中央にボールがあり、左後輪から右前輪へ向けて、ほかのタイヤに当てないようにクラブを振り抜きます。つまり、インサイド・アウト軌道でドローボールを打つのです。その目的は、しっかりとボールをつかまえることでした。ジャンボさんは40歳以降に63勝を挙げていますが、この練習法はアマチュアにも大いに参考になるでしょう。1994年の日本オープン。大学1年生だった私は、初めてジャンボさんを間近で見ました。そのとき目にした「力強いのにゴムのようにしなやか」な肉体は、今も鮮明に焼き付いています。ハイティから放たれる圧倒的な飛距離、そして低く出てキュキュッと止まるアプローチ。ジャンボさんのウェッジは“鬼グース”でした。そして、そのPSを発明したのもジャンボさんです。メタルウッドを日本に普及させたのもジャンボさんでした。「ジャンボは負けず嫌いの鬼。そして死ぬまでゴルフがうまくなりたいと思っとったエジソンやったよ」。車中で佐野木さんはそうつぶやきました。後日、「誰に乗せて来てもらったんだ?」と聞かれた際、佐野木さんが私の名前を答えると、ジャンボさんはこう言ったそうです。「たくさん素振りをやらせているコーチだな」。私のことを知ってくださっていたことに感激するとともに、その情報収集力には驚かされました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。■辻村明志つじむら・はるゆき/1975年生まれ、福岡県出身。上田桃子らのコーチを務め、プロを目指すアマチュアも教えている。2025年は千田萌花と藤本愛菜をプロテスト合格に導いた。読売ジャイアンツの打撃コーチとして王貞治に「一本足打法」を指導した荒川博氏に師事し、その練習法や考え方をゴルフの指導に取り入れている。元(はじめ)ビルコート所属。※『アルバトロス・ビュー』930号より抜粋し、加筆・修正しています◇ ◇ ◇ ●マキロイのグリップを詳細分析! 関連記事『シェフラー、マキロイ、フリートウッドが実践 「左手も右手もかぶせる」次世代グリップが飛距離アップに効果絶大!』を詳しく読めば、その秘密が分かります。
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