<いわさき白露シニア 最終日◇27日◇いぶすきゴルフクラブ(鹿児島県)◇7052ヤード・パー72>
国内シニアツアー今季最終戦「いわさき白露シニアゴルフトーナメント」では、プラヤド・マークセン(タイ)と7連勝がかかっていたが、それを止めたのは予選会10位から這い上がってきたルーキーの渡部光洋(わたなべ・みつひろ)だった。
渡部は10月の「トラストグループカップ 佐世保シニアオープン」では初日を「65」の首位タイでスタートしながら、最終日最終組で「80」を叩いて36位タイに沈んだ。その悔しさはいまも胸に残っている。その翌週の「ISPS HANDA・やっぱり面白いシニアトーナメント」では2日目と最終日に「67」を並べ、自己最高の2位に入った。どちらも勝ったのはマークセン。渡部は優勝こそならなかったが、2位の300万円を加算したことで今季目標としていた賞金ランキング30位以内のシード権が見えてきた。
賞金ランキング30位で迎えた最終戦は、大会2日目を終えて首位と2打差のトータル8アンダー・4位。シードどころか優勝にも手が届く位置にいた。にもかかわらず、最終日は「シード…シード…とブツブツ言いながら、バクバクしていました」と優勝よりもシード争いの緊張のなかでスタート。曲がるドライバーに手を焼きながら、しぶとくパーを並べて8番パー5でバーディを先行させると、「落ち着けました」と自分のゴルフを取り戻す。
渡部がトータル9アンダーで折り返したとき、リーダーボードを見ると7連勝がかかるマークセンが5バーディでトータル11アンダーまで伸ばし、単独トップに立っていた。しかし後半に入ると、渡部が4連続バーディのチャージをみせてマークセンが落としたため、ついに単独トップに。しかし、途中にリーダーボードがなかったため、渡部には自分の位置がわかっていなかった。最終的には飯島と首位で並んでホールアウトし、プレーオフを制してシニアツアー初優勝。70センチのウイニングパットを沈めると、キャップを取って一礼し、ギャラリーや仲間たちの拍手に控えめに応えた。
大きなガッツポーズも雄叫びも涙もない。仲間たちに祝福されながら、本人は何が起こったのかわからない様子に見えた。1996年の下部ツアー「西野カップインセントラル」以来の実に26年ぶりの優勝。会見では「最後のパットは正直覚えてない。スライスしたと思うんですけど、気づいたら入っていました。そんなのは初めての経験ですね。えらいことやったんやなと」と、まるで人ごとのように話した。
近畿大学を出たあと2度目のプロテストで合格したが、ツアーでは稼げず。28歳で一度はゴルフから離れた。仕事は釣り針の出荷作業。そんなサラリーマン生活を何年か送ったあと、再びゴルフの世界に戻ってきた。やしろ東条ゴルフクラブの所属プロとなり、毎年のようにレギュラーツアーのQTに挑戦したものの、ついに出場権を得ることは叶わなかった。
「レッスンに来てくれて悪いときに助けてくれたお客さんに感謝です」と、ツアーに出られない渡部を周りが支えた。97年には4つ年上の勝代さんと結婚。「かあちゃんはゴルフのことは知らんし、家に帰ってもゴルフのことは一切言わない。僕としてはありがたかったです」と妻にも感謝する。
この優勝で1200万円を加算して獲得賞金を1864万1063円に積み上げ、レギュラーで活躍してきた猛者たちを抑えて、賞金ランキング7位でシーズンを終えた。渡部の武器は飛距離で「280ヤードくらい」とシニアツアーではアドバンテージとなっている。「ちょっと飛びますけどちょっと曲がりますので、ギャラリーの方お気をつけください」。表彰式ではこわばっていた表情が、最後に少しだけ笑顔になった。
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