昨年4月にドラコン大会の会場で心筋梗塞を発症したドラコンプロの山崎泰宏は、手術により一命をとりとめ、その後、ドラコンプロとして現役復帰を果たす。誰もが不可能と考えた山崎の復活劇を追ったドキュメント。
今回のトピックは、復活を期して励んだ『リハビリテーション』。
ドラコンの山口県宇部市の宇部興産中央病院で濱田頼臣医師のカテーテル治療(手術)によって一命を取りとめた山崎泰宏だったが、その後、入院生活は48日間に及んだ。山崎本人は「点滴が取れたら、もうじきに退院できる」と思っていたが、実際には点滴が取れてから35日間も宇部興産中央病院に留まることになった。
入院生活が長期に及んだ理由は2つあった。
一つ目は、心不全の指標であるBNPの数値と心エコーの数値(ともに心臓に負担がかかっているかどうかがわかる)がなかなか良くならなかったこと。
二つ目は、『リハビリテーション』だ。主治医の濱田頼臣医師は、心筋梗塞発症者への術後のリハビリの重要性に関してこう説明をする。(※心筋梗塞の体験を多くの人に伝えたいという山崎泰宏の強い思いから、濱田頼臣医師には特別に許可をいただいて取材しています)
「心臓だけを私たちが治療をして帰しただけでは、その後、患者さんの運動能力は上がらないということで、宇部興産中央病院では『心臓リハビリ』を積極的に推進しています。心筋の壊死により心臓の動きが落ちたとしても、筋力や肺、血管の内皮機能等、他の部分の能力がアップできれば今まで通りの生活が送れるし、『軽い運動ならできますから』ということは、リハビリをやっていく中でお話しはしています」。
特に、山崎の場合は退院後にドラコンプロへの復帰を望んでいたために、濱田医師も強度も含めて高いレベルのリハビリを組み、それが入院生活の長期化に繋がったのであった。
以下、山崎の病状とリハビリの推移と、その時の彼の心情を記す。
■4日目
右足の付け根に付けてあったカテーテルが取り除かれた。
「久しぶりにベッドから起き上がったら、体が重くて気持ち悪かったです。最初は台車に掴まっての50メートルの歩行からなんだけど、人間って、こんなに弱くなっちゃうんだって思うほど、たかが50メートルが歩けなかった」
■13日目
ICU(集中治療室)から一般病棟に移る。
■14日目
最後に残った腕の点滴と酸素マスクが外される。
「先生に『俺、現役復帰したいので、早くトレーニングや練習がしたいんだけど』と言うと、トレーニングなんてもってのほか。ただ呼吸を止めずにできる低強度の運動なら良いと認めてもらった」
そこで山崎はドラコン仲間の和田正義にゴムチューブを送ってもらい、病室内で軽いトレーニングを開始した。
■27日目
CPX(心肺運動負荷試験)検査で、エルゴメーターという固定式自転車を漕ぐテストを開始する。CPXは心電図、心拍数、血圧、呼気ガスを測定しながら自転車を漕ぐことで、運動能力の評価する検査で、この検査の結果を受け40ワットの負荷の許可が出た。
「自転車を漕いで、これ以上は無理という数値を出すんですよ。もちろん、先生たちが見ているし、肺と心臓の状態が分かるオシロスコープがあるので安全性は確保されているんだけど、でもすごく苦しい。今まで経験したことがないほどきついことをやったという感じでした」
■28日目
CPXのエルゴメーターでの運動が、40ワットの負荷で15分間漕げるまでに体力的には回復。
■38日目
CPXの運動強度的には高い数値が出せるようになるものの、測定結果で不整脈が表れるなど心臓の状態はなかなか改善されない。そこで濱田医師は、一年前に承認された新薬の投与などを試みた。
■45日目
薬の調整などを続けた結果、BNPの数値が200台になる。CPXを再度行い、不整脈なく最大で166ワットまで漕ぐことができ、運動能力の改善を確認した。トレーニングの最後の仕上げに入る方針とした。
■47日目
140ワットを2分間漕いで3分間休むエクササイズを3セット行う高強度のトレーニングを行った。短い時間なら、高強度でも問題なく運動できることを確認してゴルフの許可が出た。
■48日目
退院。
■49日目
東京の所属先のゴルフメーカー、Jビームに行き、52日ぶりにフルショットでボールを打つ。
「ドライバーが滅茶苦茶重かったです。でもトラックマンで320ヤードくらい飛びました」
■51日目
ゴルフコースに行きラウンドする。
「いきなりドライバーを打ったら280ヤードくらい飛びました。それで、『俺、まだ現役でいけるな』って思いましたね。4ホール目からはティショットだけ打って休んだり、カートを運転したりして。最終ホールはドライバーで打ったら330ヤード飛びましたよ。だから、2カ月くらいやらなかったといって技術が落ちるわけでもないし、元々持っている技術をまるっきり失うことはない。飛ばすためのノウハウはまだ自分の中にある、そう確信しましたね」
山崎泰宏の現役復帰を実現させたリハビリの道筋を作り、常に近くで彼の決意とやる気を鼓吹し続けたのは濱田頼臣医師と医療スタッフだった。
濱田医師が山崎に対して厳しいリハビリを課した理由は、こうだ。
「正直、山崎さんのような優勝を争うようなレベルのプロスポーツ選手が心筋梗塞を起こしたというのは、あまり例を見ないことなんですよね。しかも、彼はそれをまたやりたいと考えていた。(病状がやや落ち着いて)山崎さん自身が今後、どうしたいかということを聞いたときに、『それ(ドラコン)ができなかったら自分は死んでいるのと一緒なんだ』という、そういう思いが山崎さんの中で強かったので、そこはこちらも可能な範囲で応援してあげたいという思いがあって。それで、中途半端なまま帰してしまっても山崎さんが無理をするのは目に見えていたので、可能な限りここでリハビリをしてみませんかと提案をしたのです。
それで運動と同時に投薬を試行錯誤して、検査の数値が下がったときに、今だなと思い、最終的にゴルフができるようになることを想定したリハビリのプログラムを組み、その後、心電図などでチェックしたうえで、ある程度、向こう(長野県)に戻っても良いという許可を出せたということです。山崎さんでも『こんなきついトレーニングしたことない』と言ったほどで、普通の50代の患者さんには要求しないレベルの運動でした。最後に1つ言いたいのは、メニューを考えたのは私ではなく、理学療法士ですよ」
山崎は、自分がドラコンプロとして現役復帰できた要因をこれだと思っている。
「濱田先生は入院をしているときに毎日来てくれたんです。先生が諦めないでくれたというのが大きかったと思います。退院の日に、先生は午前中の検診の合間に見送りに来てくれて、そのときに、『山崎さんがこうやって歩いて帰れると思っていなかったです』と声を掛けてくれたんです。その言葉を聞いて、自分がいかに深刻な状況にあったのかということと、そんな状況でも先生は諦めずに治療をしてくれていたんだと思うと、入院生活で最初で最後に涙が出てきました」
山崎泰宏は、退院からわずか1カ月後のドラコン大会で、奇跡の優勝を果たしたのである。(取材・文/古屋雅章)
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