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「かみさんや子どもに申し訳ない」 なぜ山崎泰宏は『死を受け容れる』ことができたのか【心筋梗塞からのフルスイング】

ドラコンプロの山崎泰宏は2021年4月24日のドラコン大会の当日に心筋梗塞に見舞われるも、手術によって一命をとりとめた。しかし手術後1週間はICU内で8本の点滴で命をつなぐなど、まさに死の淵を彷徨う状態であった。

だが、その後、彼は驚異的な快復をみせ52日後に日常生活に戻り、さらにその2カ月後にはドラコンプロとして競技へ復活を果たすのである。

自分はどうして“死なず”に済んだのか。そして、どうして以前と同じように“生きる”ことができているのか。その理由を多くの人に知ってもらい、自らの身に置き換えて考えてもらうことで、万が一その人が同じような事態に遭遇した時に何かの助けになってもらえたら良い。それが生きながらえた自分にできることと山崎は考えている。

今回は、『死を受け容れる』について考えていく。

山崎泰宏は、2021年4月24日。急性心筋梗塞の手術を受ける前に、自分は『死を受け容れた』という。

なぜ彼は、誰もが恐れる『死』を受け容れることができたのか。そして『死を受け容れる』とはどういうことなのか。当時の山崎の心境を基にして考察してみた。

まず、当日の状況を振り返る。(※心筋梗塞の体験を多くの人に伝えたいという山崎泰宏の強い思いから、担当医の濱田頼臣医師には特別に許可をいただいて取材しています)

2021年4月24日、朝の7時に第1回目の心臓の異変(胸から首にかけての込み上げるような吐き気)を感じる。その後、11時半に2回目に同様の異変を感じ、その後、断続的に違和感や吐き気が続く。16時30分に、急性心筋梗塞を発症していた山崎泰宏を乗せた救急車が山口県宇部市の宇部興産中央病院に到着する。

病院に着くとPCR検査、心電図、心臓超音波検査、血液検査が同時並行で行われた。その検査の結果を受けて、担当医の濱田頼朝医師が山崎に「『心電図変化とエコーの結果から、心筋梗塞と思われます。このまま放っておいたら死ぬかもしれないので、今から緊急でカテーテル手術をしますが、よいですか」と意思確認をする。

次に医師が家族に対して電話で「ご本人は手術を希望されていますが、手術中に亡くなる可能性もあります。手術に同意をされますか」と確認するのを、救急室で山崎も聞いていた。そして、手術を前にして自分の置かれている状況が非常に切迫していることを承知して、山崎泰宏は自分が死ぬかもしれないことを覚悟しという。

手術の1年後に行なった取材を基に、死を覚悟したその時の山崎の心境の推移を再現する。

――そのとき、どういう気持ちだったんですか。

「かみさんとか子供に伝えたいこととかあるじゃないですか。もし(手術後にも)生きていられるなら、銀行だったりお金だったり、死ぬ前にやらないといけない手続きを人に頼めるなと、そういうふうに思って、(手術を)『お願いします』と言いました。生きたいという命乞いではなかったですね」

――普通に考えると、死ぬと思うと、判断もできないくらいパニックに陥るのかなと思うのですが。

「そう思うじゃないですか。でも案外と僕、冷静で。あ、人間死ぬときって案外、こんなに簡単に逝っちゃうんだなって、なんか受け容れちゃったんですよ」

――死を意識して血の気が引いたりとかはなかったですか。

「なんかこう、諦めたというか、ああ、もっと早く来なきゃダメだったなと。脳と心臓は早く処置をしないと助からないということをスキー指導員の救命の知識で知っていたので。我慢したのがいけなかった、我慢していたことへの後悔の方が大きかった。まあ、ちょっと切なかったですね。かみさんや子供に申し訳ないという気持ちです。子供まだ中学生なので。かみさんは女手で一人で育てていかないといけないから、大変だろうな、申し訳ないという気持ちの方が強かったです。自分が死ぬということに対してウワァ〜と悲しむというのはなかったです」

――怖くはなかった?

「もうしょうがないと思ったんです。今さら、ジタバタしてもしょうがないって。それよりも、今、気持ち悪いコレをなんとか直してほしい、消してほしい、だから手術をしてほしいと思ったんですよね」

話を聞いたのが手術の1年後であるという心の余裕分を差し引いたとしても、自身が回想する『死を受け容れたときの山崎泰宏』の心は、拍子抜けするほど“普通”に思える。確かに本人が言うように、死を覚悟した人の心境としては『案外と冷静』であることに驚かされるほどだ。これが『死を受け容れる』というものなのか。

しかし一方で、我々が想像をする死を前にした人の気持ちを良く表わしているのが、22年2月1日に亡くなった石原慎太郎さんである。

死後『文藝春秋』にて発表された絶筆『死への道程』の中で、石原さんは余命宣言を受けたときの心境をこう記している。

「これで先生この後どれほどの命ですかね」

質したら、

即座にあっさりと

「まあ後三ヶ月くらいでしょうかね」

宣言してくれたものだった。

以後、私の神経は引き裂かれたと言うほかない。

89歳にして、死の宣告を受けた時の懊悩ぶりが、『神経は引き裂かれた』という言葉から良く伝わってくる。一般に私たちが考える、死を前にした人の心境がこれである。

この死を前にした二人の心境の違いは恐らく、山崎が死にかけた病の心筋梗塞が代表的な突然死であったことと深く関わっているだろう。

突然死とは、こういうことだ。

『瞬間死あるいは急性症状の発現後24時間以内の死亡で、外因死(不慮の事故死や自殺や他殺など)を除いた自然死のことで、その大半が虚血性心疾患(代表例が狭心症、心筋梗塞)である』、『短時間(多くは1分以内)で急変し死亡する場合、仕事中、歩行中、乗車中、安静時、用便中、就寝中(まれに性行為中)に突然倒れて意識消失し、反応が無い状態となる』(東京都監察医務院ホームぺージより要約)

つまり心筋梗塞の場合、それまで普通に生活していた人が突然に意識を失いそのまま死んでいくことも多いのだ。山崎の場合は意識はあったものの、状況的にはその後数時間で死んでしまう確率は相当高かったのである。つまり、あまりに突然に『死』が現実的なこととなり、状況からして彼はそれを受け容れざるを得なかったということなのだろう。

一般に『死を受け容れる』というのは、石原さんのようにガンなどを発症して余命いくばくかを宣告された人が『死と向き合う』苦しみを経た後に到達する、恬淡として死を迎える境地をさすことが多い。しかし、このときの山崎は『死と向き合う』時間さえ殆どないままに手術を受けることになったのだ。だから彼が『受け容れた』のは、死を覚悟することであり、死そのものではなかったのかもしれない。

厚労省の2020年人口動態統計による日本人の死因の構成割合では、1位はガンなどの悪性新生物(27.6%)、2位が心疾患(15.0%)、3位が老衰(9.6%)、4位が脳血管疾患(7.5%)となっている。

山崎が患った心筋梗塞は2位の心疾患に含まれる。決して低い確率ではないのだ。彼は、「今まで心筋梗塞の兆候は全然なかったんです。発症の2カ月前の検査でも血液から何からすべてクリアして健康そのものだったんです」という。しかし彼は、肝心のコレステロール値が高かったことを見逃していた。

突然死は、一気に日常を奪う。このことを胸に置き、日常の検査を怠りなく。(取材・文/古屋雅章)

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