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LPGAファウンダー、ミッキー・ライトの死で思いをはせる歴史の大切さ【小川淳子の女子ツアーリポート“光と影”】

先達の歴史の上に現在がある。13人のUSLPGAファウンダーの一人、ミッキー・ライトの訃報を聞いて、改めてそう思う。

世界各国からトッププレーヤーが集まるツアーとなった今日のUSLPGAは、「1950年、プロとしてゴルフをしたい13人の勇気ある女性の夢とビジョンが現実となり」(USLPGAオフィシャルサイトより)始まった。

現地時間17日に85歳で亡くなったライトや、ベイブ・ザハリアスら13人のファウンダーは、今でも全員の名前がきちんと残されている。そればかりではなく、組織の中で常に敬意を持って扱われており、2011年にはLPGAファウンダーズカップと言うトーナメントができた。奇しくも、ライトが亡くなった日は、ボールメーカーのボルビックが大会の新スポンサーになると発表されていたタイミングだった。

何の世界であれ、歴史とは、成功の経験も失敗の経験も残しているものだ。これを知ることで、自ら経験しなくても、失敗への対策を立てることができたり、成功への道筋を描いたりすることができる貴重なものとなる。もちろん、歴史があったうえでのきょうということも理解することが必要だろう。ウェブサイトの中でもファウンダーたちに触れているUSLPGAの姿勢は、そういう意味でも、当たり前であり、将来につながるものだと言える。

では、JLPGAの歴史はどんな風に扱われているだろう。かつては、メディアに配布されていたガイドブックの冒頭に、ある程度のことが書かれていたが、現在はその本もすっかり形を変えてしまい、現状だけにフォーカスしている。ウェブサイトでは、「1961年”女子プロの卵“『28人が集まり全日本ゴルフ場女子従業員競技会』が開催」「1967年日本プロゴルフ協会に女子部(後の日本女子プロゴルフ協会)が発足」「1968年『第1回日本女子プロゴルフ選手権』が天城GC(静岡)で開催」と、年表としては公表されている。だが、これだけでは、樋口久子ら1期生が、いつ誕生したのかもわからない。

樋口のプロフィールを見れば、入会は1967年で1期生となっている。その6年前の従業員大会はその”前身“と言う扱いになっている。このことについても諸説あったのだが、そんな話を知る人も少なくなった。

いずれにしても、現在、第一線で活躍している選手たちのどれほどが、自分たちのツアーの成り立ちについてわかっているだろうか。ルーキーセミナーなどで一通りのことは教わるかもしれないが、それだけでは大した印象は残らない。樋口のように実績を残していればともかく、そうでなければ自分たちの基礎を築き、試合のない時代に組織を支えた先輩たちは、遠い存在に過ぎない。それでは、感謝も経緯も芽生えないだろう。

昭和30年代に、女性がプロゴルファーになることがどれほど大変だったか。それからどんな経緯を経て、今日があるのか。その過程から学ぶべきものは、一選手にとっても、組織にとってもたくさんあるはずだ。

ベン・ホーガンに例えられるほどの美しいスイングで知られ、メジャー13勝を含む通算82勝を誇るライトの死。それを悼むとともに、歴史に目を向けることの大切さが、伝わるといいのだが。(文・小川淳子)

<ゴルフ情報ALBA.Net>