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シード権喪失から苦手・和合で手にした栄冠 宮本勝昌がポジティブになった46歳の春【名勝負ものがたり】

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の数々の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

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10メートルのスネークラインのバーディで優勝を決めた2019年中日クラウンズ。打った宮本勝昌本人が人一倍驚き、いつもは考えているというガッツポーズさえできなかったというほど劇的なシーンばかりが、映像でも文章でも取り上げられる。だが、ゴルフは72ホール、1打1打の積み重ね。「長いパットも入ったし、あとから思えばアンラッキーが一つもなかった。“自分の日"だったのかな」というラウンドのクライマックスが、多くの人の心に残っているウイニングパットだったというわけだ。

ツアー通算12勝目。宮本勝昌が、46歳で手にした値千金の優勝だった。「どの試合も優勝シーンは覚えてますけど、やっぱり歳行ってからの方が感慨深くなるんでしょうね。苦しかったこととかが思い浮かぶからですかね。50歳まで命が伸びた。シニアへの空鶴が亡くなった」。優勝後、しばらくして話を聞いた時にも、8月28日の誕生日で50歳になり、シニア入りする直前の今も、宮本はそう語っている。

1960年に第1回大会(中部日本招待全日本アマ・プロゴルフ選手権=第7回大会から現在の大会名)が行われた中日クラウンズは、初の民間トーナメントとしての歴史を持つ。最初の優勝者は中村寅吉。以来、ずっと名古屋ゴルフ倶楽部和合コースを舞台に歴史を刻んできた。(日本男子のツアー制は1973年に施行)

だが、日本オープンの舞台となったこともあるコースに対して、宮本は苦手意識を持っていた。「難しいですからね」。たしかにトップ10入りは過去22回の出場で、2013年の9位1度だけ。60回記念大会の2019年も、優勝を特に意識することなく試合に入っていた。

40代半ばに差し掛かった2017年ごろから「頭の隅には(50歳からの)シニアツアーがありました。なかなかうまくいかなくても『シニアに向けて』という気持ちが出てきていた」と、正直に打ち明ける。2018年には体調を崩したこともあり、賞金ランキング74位で18年間維持してきたシード権を喪失している。それでも、2017年ダンロップ・スリクソン福島オープン優勝の資格でこの年は試合に出られることがわかっていたため、焦りもなく、これまで同様にプレーしていたシーズンだった。

初日、4アンダーで首位タイのスタートを切り、2日目も1打差3位と優勝が狙える位置にいたが「うまいこと前半乗り切ったな。このまま上位にいられればいい」というくらいの軽い気持ちで週末に向かう。3日目も3つスコアを伸ばしてトータル8アンダー。首位のピーター・カーミス(ギリシャ)に1打差2位と絶妙な位置で最終日を迎えた。

最終組での優勝争いにも「自分のゴルフに集中する。やることはいつもと一緒」というのが、宮本のスタンス。1番からいきなりダブルボギーを叩くが、動じることはない。「スタートしたばかりだし、こういうこともある、まだ17ホールあるから」と、1打1打に集中した。

優勝争いを何度も経験している宮本のプレースタイルは「いつもと同じ、どこかでギアが入るとかないです。ゴルフって思い通りにならないですから。ギアを入れようと思ってはいるもんじゃない。だから僕は目の前の1打に集中する。(目の前の1番に集中する)力士的な発想のほうが強いかな」というもの。リーダーズボードは常に見ているが、それに左右されることも少ないという。

「途中、混戦になっているのはわかっていました。難しい13番から15番をどうプレーしようかと考えていた」と、一進一退の中でもジワジワとトータル8アンダーにスコアを戻して、18番を迎えた。

第2打を打つ前に、風が変わったのに気が付いた。「基本、左からのフォローだと思っていたけどあれ?アゲンストが吹いてる?」と迷った。だが、元々の風を信じてプレーした。正解だった。

「(後日)テレビで見たら、周吾も同じように風に悩んでいた。この時はアゲンストに当たってバンカーにつかまってボギー。でも、僕の時はいたずらな風が吹くこともなかった。最後の最後までついてたな」という状況も、後でわかったことだ。

先にホールアウトしている今平と同じ8アンダー。風も味方して2オンはしたが、カップまでは10メートルの難しいラインが残っている。「(今平は18年の)賞金王だし、プレーオフになったら勝てる気がしない」という意識もあった。この週の相棒、ハウスキャディ歴8年の遠竹則子さんにラインを尋ねると「プロね、まっすぐですよ」トいう答えが返ってきた。

「少しスライスしてからフック、とか、そういう(カップまでの)道中を聞きたかったんです。でも結果的にまっすぐ打てば入る。そう言って遠竹さんは的確に背中を押してくれました」。最後の一転がりで、ボールがカップに吸い込まれた瞬間、宮本自身が素で驚いたのはそのためだ。

「僕、ゴルフの時はネガティブになるんです。でも、遠竹さんはスーパーポジティブな人でそれを打ち消してくれる。あんな楽しい4日間は人生初でした。キャディさんに感謝です」というほど、最高の気持ちでプレーした。最後に待っていたのがドラマティックな優勝という最高のプレゼントとなった。

楽しくプレーして優勝する。最高の形で手にしたツアー12勝目は、50歳になった今、そしてこの先の宮本の大きな支えになっている名勝負でもある。(文・小川淳子)

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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