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68年マスターズチャンピオン、ボブ・ゴールビー氏が死去

1968年の「マスターズ」チャンピオンでPGA ツアー通算11勝のボブ・ゴールビー(米国)がイリノイ州ベルビルで死去、92歳だった。

ゴールビーと聞いても思い起こせない人も多いが、マスターズで起きた「デ・ビセンゾの悲劇」というと記憶が蘇るかもしれない。

1968年のマスターズ最終日、トータル11アンダー、「277」で最終ラウンドを終えると、リーダーボードにはゴールビーと、その2組前でプレーしていたロベルト・デ・ビセンゾ(アルゼンチン)の名前がトップに並んでいた。「プレーオフだ」と確信しゴールビーはグリーン奥のアテストへと向かった。ところが周囲はなぜか騒然としていた。デ・ビセンゾとその同伴競技者のトミー・アーロンが居て鎮痛な面持ちで立ち尽くしていた。ゴールビーがアテストを終えて出てくるとサム・スニード(米国)が声を掛けた。「今、君が優勝したよ」と。

デ・ビセンゾがバーディを奪った17番パー4のスコアを、マーカーであるアーロンが誤って「4」のパーと記入した。そしてデ・ビセンゾは不覚にもそれに気づかずスコアカードにサインしてしまった。その結果、ゴールビーが見事に優勝、グリーンジャケットを手にすることに。デ・ビセンゾは2位に終わった。

ゴールビーは最終ラウンドで13、14番をバーディ、15番パー5では残り200ヤードを3番アイアンで2メートルにつけイーグルを奪い、「66」をマークした。しかしそのプレーは正当な評価を受けられず、心ない人からは誹謗中傷の手紙も受け取った。

ゴールビーはのちに「プレーオフを戦えたら良かった。しかし私には優勝を断る術はなかった。史上最高の大会に優勝したのに、史上最悪の表彰式だった」と語っている。

シニアツアー(現PGA ツアー・チャンピオンズ)でもプレーしたのち、ゴールビーは米レビのNBCでアナリストとしても活躍、「当時は色々と言われたけれど、それでもマスターズに勝ったことはその後の私のゴルフと、私の人世をよりよきものにしてくれた」とゴールビーは語っている。(文・武川玲子=米国在住)

<ゴルフ情報ALBA.Net>