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夫人と二人三脚で大病を乗り越えて 6試合目で初めてプレーオフを制しツアーNo.1へ【名勝負ものがたり】

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、喝采まで含めた名勝負の数々。その舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

東京五輪で“7人”のプレーオフに挑んだ松山英樹

細川和彦の胸に強く残る記憶は、2005年日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ。玉枝夫人の誕生日に最高の贈り物となった勝利は、苦しい日々を乗り越えての感慨深いものでもあった。

「これを入れなければ次はない」。キャディにそう宣言して、ウイニングパットを決めた。今野康晴、デビッド・スメイルとのプレーオフ2ホール目。この日3回目の18番だ。「3ヤード弱の上り。打てればストレート、弱ければ右に切れる」の読みが、キャディのジョー・エドワーズ氏とピタリと一致。自分に流れが来ているのがはっきりとわかっていた。思った通りにきっちりと打ったボールは、鮮やかにカップに吸い込まれた。パーセーブ。今野もスメイルもパーを取れず、細川の優勝が決まった。

プレーオフ1ホール目には、勝負の流れを自分で引き寄せていた。3バーディー、2ボギーで回ってトータル7アンダー。今野と共にスメイルを捕まえ、プレーオフに持ち込んだ。だが、1ホール目のティショットを右に曲げてしまう。残りは180ヤード少しだが、前方には木があるスタイミーな状況。キャディは「横に出した方がいい」と言った。だが、細川には、ちょうど7番アイアンの弾道の先にある隙間が見えていた。

「横に出したら負ける。狙うよ」。フックボールでグリーンを狙ったつもりが、ややオーバーしたが、きっちりパーセーブ。2ホール目へと持ち込んでいた。

「本当は苦手なんです。プレーオフ。1勝5敗ですからね」と苦笑する。1勝はこの大会だ。つまり、これまでは5戦5敗。苦手意識があるのも無理はない。だが、この日は違った。「最後の最後までどうなるかわからなかった。でも優勝を意識するというよりも、気持ちを切らさずに集中できていました。流れは一度つかめなくなるとスコアが作れない。まぁ、ゴルフだけじゃありませんけど」と笑って振り返るが、それほど、自分のペースで様々なことが見えていた。

4年ぶりの勝利の美酒。その間、本当に色々なことがあった。

95年に初優勝を飾り、2001年アコムインターナショナルまで7勝を重ねた実力者。だが、そのわずか2週間後に、思わぬ体調不良に見舞われていた。日本オープン初日、プレー中に激しい腹痛に襲われ、トイレに駆け込んだ。下痢が止まらず、緊急入院。最初は「食あたりかな」と思っていたが、17日間点滴を受けても一向に良くなる気配がない。精密検査を繰り返し、潰瘍性大腸炎だと判明した。

安倍晋三前首相の辞任の理由にもなったほどの難病指定。しかし、最初、細川にその自覚はない。様々な話を聞くうちに、大変な病気だと言うことがわかった。選手生命を危ぶんだ時期もあったが、時間と共に病気との付き合い方がわかってきていた。医師にも恵まれた。薬の量やタイミングなど、自分で体調をうまくコントロールできるようになっていた。

99年に結婚した玉枝夫人の細やかなサポートのおかげもある。外食の多い夫を、自宅にいるときには食事面などで完全バックアップ。試合に出続けられるようにしてくれた。

茨城県在住とあって、宍戸ヒルズCCが舞台のこの大会には、車で約40分の自宅から通っていた。試合が終われば、自宅で妻や幼い息子たちとリラックス。「試合と言うよりも、毎日普通にゴルフに行っているような感覚」と、オンとオフの切り替えもうまくいっていた。体調も問題なかった。

初日はイーブンパー。首位のスメイルに4打差16位タイとまずまずの位置でスタートした。2日目は、スメイルがトータル8アンダーで首位。2打差で宮本勝昌、1打遅れて今野がいた。細川も3つスコアを伸ばして、5打差4位に浮上する。

3日目にも3つスコアを伸ばしてトータル6アンダー。足踏みするスメイルに2打差2位で最終日を迎えた。

優勝トロフィーは、ブルーに白の模様が浮きだしたウエッジウッドの大きなもの。スポンサーが変わる関係で、これが与えられるのはこの年が最後だった。試合前に玉枝夫人に冗談交じりに「あれがいい」とリクエストされたバースデープレゼント。細川は、見事、リクエストに応えた。

表彰式では満面の笑みを湛えていたが、感涙にむせぶ夫人を見て、涙がこらえきれなくなった。脳裏によみがえる苦しかった日々。それを乗り越えたからこそ味わえる最高の勝利の美酒だった。

5年シードとWGCのNEC選手権出場、さらには全英オープン出場にもつながったビッグタイトル。それ以上に"優勝“することは細川にとって大きな意味があった。「2位では何も残らない。勝って名前を残したかった」。その言葉通り、00年に始まり、今年22回目を迎えた大会の6人目の王者として細川は歴史に名を刻んだ。ツアーのフラッグシップトーナメントとの歴史と共に。(文・小川淳子)

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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