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コーチが語る吉田優利が成長した瞬間 王貞治の金言で本物のプロとなった【辻にぃ見聞】

木曜日から土曜日までの変則3日間開催となった新規トーナメント「楽天スーパーレディース」は21歳・吉田優利が「ゴルフ人生初」という5連続バーディなど最終日にスコアを大きく伸ばし、うれしい初優勝を手にした。「日本女子アマ」、「日本ジュニア」の2冠などアマチュア時代から名をはせた実力者は、いかにして栄冠にたどり着いたのか。その吉田を高校時代からコーチとして指導する辻村明志氏が、エピソードを交えながら道のりを振り返る。

■高校生のころから利発さは抜群

辻村氏が吉田を見るようになったのは今から5年前。高校一年生の冬だった。「(小祝)さくらとほぼ同時期で二人ともアマチュア。プロしか教えたことがなかったので初めて教えるアマチュアの子でした」。体の小さな女の子。そんな第一印象から、小祝さくらとはまた違う魅力がうかがえた。

「クラブ捌きがとてもうまいと感じました。そして話し方もハキハキしている。何よりも“コツ”をつかむのが非常にうまくて、勘の良い子だなと思いました」。おっとりしながらも芯がある小祝とはまた違ったタイプ。そんな利発さはこんなところからもうかがえた。「練習に来たら、2時間休まずバーっと打って帰る。だらだらしない。そんな時間の使い方のうまさも高校生っぽくなかったですね」。優勝会見でも「私は効率重視」と話したが、その片鱗はプロになる前から備わっていた。

利発さと同時に当時から負けん気も強かった。17年、すでにプロのトーナメントでもベストアマを獲るなどの活躍を見せていた吉田だが、安田祐香、古江彩佳、西村優菜ら同級生が多数出場した日本女子オープンの出場権を得ることはできなかった。その初日が行われていたころ、吉田は色々な思いを噛みしめながら辻村氏の目の前で黙々とボールを打っていた。

そんな気持ちを察した辻村氏はいう。「同級生たち頑張っているね」。その瞬間、吉田の目から涙があふれた。「焚きつけたというわけではないですが、あえてそういう言葉を投げかけました。いま振り返れば、その悔しさをエネルギーに替えられたから、翌年日本女子アマ、日本ジュニアを勝てたのだと思います」。4年経った今でも忘れない、ターニングポイントとなった瞬間だった。

■世界の王に質問「プロとしてやっていくには」

その後、19年にアマチュアながら「全米女子オープン」に出場、左手首のケガなどを乗り越えて同年のプロテストに合格した吉田。翌年の1月、辻村氏が王貞治氏のコーチだった荒川博氏から教わっていたことが縁で、王氏と辻村氏が教える選手たちとの決起集会が開かれた。その場では一人一問王氏に質問する機会があったという。そこで吉田はこんなことを聞いた。

「今までアマチュアだったのですが、プロとしてやっていくにはどうしたらいいですか」

そこで王氏は「今からプロだと思うこと」とともに、こんな言葉を授けた。

「アマチュア時代の成績は関係ない世界だよ」

早稲田実業高校時代に4度甲子園に出場、ノーヒットノーランを達成して鳴り物入りで巨人に入団しながらも、投手失格、打者としても苦しみながらも荒川氏とともに地獄のような鍛錬を積んで「一本足打法」を身につけて世界一の本塁打を放った王らしいメッセージだった。

■プロの洗礼と姉弟子の背中がさらに強くした

大事なのはこれから。金言を受け、アマチュア時代の実績に胡坐をかくことなく臨んだルーキーシーズンだったが、予選通過がやっとの日々。同級生が優勝するなか、トップ10にも入れない。そんな試合が続いたが、辻村氏は「この我慢の時期が優利を人間的に成長させたと思います。辛抱強くなりましたね」と大切な時期だったと振り返る。

それが言葉として表れたのが、11月の「伊藤園レディス」の最終日だった。ラウンドが終わった後、そのままの足で辻村氏のもとに練習に行った吉田は「私はボールがつかまればスコアを作る自信があるんです。どうしたらつかまるかを教えてください」と言ったという。

「それを聞いて、時間をかけてやろうと伝えたときに、“私に必要ならやります”と。そこから優利は目先のことではなく先を見据えてできるようになりました。今ではヘッドスピードが42〜43m/sくらいありますが、もともとは30台でした。だからといってヘッドスピードだけ速くしようとしても良くない。体が開かない、引けないようにしながら数値を上げていかなければだめ。そうやって将来を見据えながらやることができました」

それからの吉田は一段と変わった。今年のオフには休息日でも打ち込むようになった。トレーナーと一緒によりいっそう取り組み体力もついた。その結果、上位に顔を出すことも増えてきた。そして辻村氏が「最後のピース」として感じたのが5月の出来事だった。

「一緒に食事をしたときに“桃子さんやさくらさんみたいにもっと練習しなければいけないと思います”と言ったんです。やっと気づいたかと、見えないところでガッツポーズをしました。それからは試合が終わったら日曜日に必ず練習に来るようになりました。明らかにゴルフに対する向き合い方が変わりました。足りなかった体力をつけ、練習して自信もついた。だからこその今回の最終日の5連続バーディだったと思いますし、暑いコンディションを乗り越えての優勝だったと思います」

今回の優勝に、王氏から辻村氏にメッセージが届いた。そこには同じようにチームとしての強さを語る文面が記されていた。「僕も嬉しいです。若い人が成長することは荒川さんが一番喜んでくれているでしょう。切磋琢磨が向上する源です。勢いづいた辻村軍団の今後が楽しみです」。良き仲間、ライバルたちとしのぎを削り、鍛錬を積んだ王氏ならではの言葉だった。

■“報・連・相”の徹底と翌年の目標 大事なのはこれから

念願の初優勝を挙げたが、辻村氏は「まだまだ道半ばです。強くなるには厳しいことがこれからたくさん待っています」とここで満足してほしくないという思い。そして「今と同じように取り組んでほしい」と付け加えた。

「優利は試合に限らずラウンドした後は、必ず毎日連絡をしてきます。まさに報告、連絡、相談ですね。そして年末には“来年私はこうしたい”という思いを私に伝えてきます。しかもアマチュアのころからです。自分のことを客観視して、自分の言葉で伝えられる強さが彼女にはあります。これからも勘違いすることなく鍛錬を積み、優利らしい攻めのプレーを貫いてほしいです」

解説・辻村明志(つじむら・はるゆき)/1975年9月27日生まれ、福岡県出身。ツアープレーヤーとしてチャレンジツアー最高位2位などの成績を残し、2001年のアジアツアーQTでは3位に入り、翌年のアジアツアーにフル参戦した。転身後はツアー帯同コーチとして上田桃子、山村彩恵、松森彩夏、永井花奈、小祝さくら、吉田優利、阿部未悠などを指導。様々な女子プロのスイングの特徴を分析し、コーチングに活かしている。プロゴルファーの辻村明須香は実妹。ツアー会場の愛称は“おにぃ”。

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