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米ツアーの苦しい時代も追い続けたからこそ撮影できた 丸山茂樹の“スペシャルな”ワンシーン【カメラマンが見た“男泣き”】

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、なかなか試合の臨場感を伝えることができない状況が続いています。その状況のなか、少しでもツアーに思いを馳せてもらおうとカメラマンが見た選手の意外な素顔や強さの秘訣、思い出の取材などを紹介。今週は2009年「ゴルフ日本シリーズJTカップ」での丸山茂樹の優勝を、岩本芳弘カメラマンに振り返ってもらった。

似てる?丸山親子の2ショット【写真】

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私がカメラマンになろうと思ったのは、単に報道として事実を切り取るのではなく、「何かに挑戦する人間を撮りたい」という気持ちが強かったからです。どんなに強いプロゴルファーでも、良いときばかりがずっと続くことはありません。成績が出ないときもある。そんなときの選手を撮影することは、カメラマンにとっても正直つらい。でも良いときだけでなく、悪いときも追い続けているからこそ、再び輝く最高の瞬間を、気持ちを込めて撮影できるのだと思っています。

私がゴルフカメラマンとして初めて“優勝シーン”を撮影したのは今から24年前、1996年の「ブリヂストンオープン」でした。優勝したのは丸山茂樹プロ。丸山選手からは、苦しい場面がありながらもゴルフを楽しんでいる様子が伝わってきて、私のゴルフに対するイメージが変わった試合です。もっともっと彼を撮影したいと思うようになりました。

ところが、丸山選手は2000年以降米ツアーに主戦場を移すことになり、国内ツアーがメインだった私にとって、丸山選手を撮影できる機会が減ってしまったのです。2000年といえばタイガー・ウッズ選手の全盛期。年間9勝のうち3勝がメジャーという強さを誇っていました。同じ時期、丸山選手も2001年からの3年間は毎年米ツアーで勝利を挙げていて、2002年の「ベライゾン・バイロン・ネルソン・クラシック」では、3位になったウッズ選手を4打差で下して優勝!アメリカで丸山選手やウッズ選手を撮影したいという憧れは、日に日に増していったのです。

そして、2004年からは米ツアーや四大メジャーを撮影する機会が増えていきます。タイミング的に丸山選手の米ツアー優勝を撮影することはできませんでしたが、2004年の「全米オープン」で4位タイに入ったときは現場にいました。しかし、それよりも2007年頃の苦しい時代のほうが強く印象に残っています。米ツアーの賞金シードを失った後、2009年からは日本ツアーに本格復帰。苦しむ姿を見ていたからこそ、同年の最終戦、「日本シリーズ」は忘れられない優勝シーンとなりました。

特に記憶に残っているのは、最終日9番ホールのチップインバーディです。実はその日は、石川遼選手の最年少賞金王(18歳)が決まった日でもあり、前半は石川選手を追っていたのですが、このバーディで「丸山選手を撮らなくては」と気持ちが切り替わったのです。すると、丸山選手は後半も勢いを増して、15番ホールから3連続バーディを決めてガッツポーズ。もう撮影していてドキドキが止まりませんでした。

最後はキム・キョンテ選手とのプレーオフになり、4ホール目で丸山選手が優勝を決めました。この頃にはドキドキも落ち着いて、最後の瞬間は最高の場所で撮影できたと思っています。優勝インタビューで見せた男泣きも思い出の写真ですが、優勝を決めた渾身のガッツポーズは、長い苦しみを乗り越えた最高の瞬間でした。

<ゴルフ情報ALBA.Net>